当流の歴史

無双直伝英信流の歴史

始祖は林崎甚助重信。戦国時代末期、出羽国楯岡(現在の山形県村山市)の生。楯岡城最上氏に仕える父が暗殺され、その仇討のため林崎明神に参籠・鍛錬の末、百日満暁に極意を会得。見事仇敵を討ち果たすとともに廻国修行を重ねて漂泊の一生をおくり、その行程は東北から上方に及んだ。その流からは田宮平兵衛(当流二代)、長野無楽斎(当流三代)、関口氏心(関口新心流の祖)はじめ、後世に名を残す武芸者を輩出しました。

その流れを汲む江戸初期の武士、長谷川主税之助英信が居合術のみならず柔術、剣術、棒術、長刀、鎖鎌、槍術等、武芸十八般を修め、江戸で道場を開く(当流の伝系では英信をもって七代と数える)。土佐藩士であった九代・林六太夫に道統が伝わって以後、無双直伝英信流は土佐藩の御留流として藩外不出の秘技として代々伝わり、藩士の間に根を下ろしました。

明治になり、廃刀令によって武士の時代は終焉を迎えましたが、十七代の大江正路が流儀の業を整理統合し、近代にあって術技を継承発展していくための礎を作ります。大江門下には多くの居合道家を輩出し現在の隆盛の基となっています。

次代を継承した十八代穂岐山波雄、十九代福井春政は土佐で道統を守りながら、時代の要請により大阪をはじめ各地で、また遠く満州にまで出張し居合を教伝。大阪では昭和初期に、後に二十代を継承する河野百錬が両師を招いて大日本居合道八重垣会を結成し、都市部における拠点として一大勢力を成しました。

彼ら先達の教伝を受けた居合家により更に全国的に広まり、現在の隆盛を見るに至っています。

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